今も語り継がれる天竜川の大洪水に、三六災害があります。昭和36年に起こったことからこの名がつきました。
昭和36年6月の梅雨前線は、東北から九州まで日本列島を降雨域に包み、一週間にわたって停滞していました。23日から断続的に振り続いた雨は、台風6号の接近にともなって次第に強くなり、27日にはついに集中豪雨となって日本各地に水害を巻き起こしたのです。
とりわけ、長野県南部の伊那谷の被害は甚大でした。降り始めから総雨量が500ミリを超えた飯田市や下伊那郡大鹿村では、未曾有の大災害となりました。濁流はあちこちで山肌を削って本流になだれ込み、一気に水嵩を増した天竜川は巨石をも転がしながらすさまじい音を立てて流れ下りました。崩れた土砂は狭い谷をせき止め、押し寄せる水圧に耐え切れなくなると土石流となってさらに本流に注いでいきました。中小の河川ばかりか、天竜川本流でも堤防があちこちで決壊し、人家も田畑もたくさんの命も水の勢いに押し潰されていったのです。
大西山の崩壊で村が飲みこまれた大鹿村では、死者41名、行方不明者14名、重傷者21名、被害戸数518戸、被害総額は44億6,000万円にものぼったといいます。
平成13年、36災害から40年の歳月が流れました。しかし、当時を知る人の心にはその記憶が色濃く残っています。 |
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